上田藩(松平氏時代)の支配組織

松平氏時代(1706〜1867年 160年間)の家臣団は、家老以下徒士に到るおよそ 500名の武士と、800名の足軽層から成っている。
藩士は、格式、俸禄、役職によって藩内で置かれている場を示されていた。
格式は、藩主との位置関係を、家単位で示したもので、約50階級に分かれ、それぞれの格式に相応して 俸禄が与えられ役職が決められた。
格式というものは、そういう役になり得る、又はなり得た家柄を示すものであった。
定員、人材などによっては、必ずしも格式の名と役職とが一致してはいない。
しかし、格式と役職とは深くかかわっており、いくつかの格式にまたがっている役職も、いずれも 一定の幅の中で配属されている。
又、格式を示すだけで、そういう名称の役職がない者も幾人かいる。


ー格式(天保10年「上田諸士列帳」から)ー



家老職家老並中老側用人用人格用人末席大寄合席物頭 物頭格   


側頭
側頭格
奏者番
奏者番格
留守居町奉行郡奉行火附盗賊
改役
勘定奉行箪笥奉行寺社奉行 徒士頭
徒士頭格
目付席手廻頭


供頭独礼席寄合席給人席納戸役側勤奥医師表医師表医師並 中之間席中小性 


詰並徒士小頭 徒士目附徒士
部屋頭
組外
徒士格
組附徒士隠居幼年目付役御目見済
嫡子
徒士格 


ー俸禄ー

真田氏時代の初めの頃は「地方知行制」であったが、仙石時代はだんだんと「地方知行制」から「蔵米知行制」へと 切り替えられていき、
松平時代には知行地を与えるということは全くなくなった。
格の高い侍の形式は知行取であっても、土地として与えられるのではなくそれに租率を掛けた分の 米が与えられた。
「分限帳」を見ると、石高と扶持の併給、貨幣と扶持の併給など、支給形態はさまざまである。

知行取……領内の各地に「知行地」を与えられていた侍。

蔵米取……「知行地」を与えられず、直接藩主から、米をもって俸禄を支給された侍。

扶持米取……「扶持米」といって、一人一日分玄米五合と見積もった米を給与された。
          後には、その一部は金銭をもって支払われるようになった。



ー武士の給与ー

江戸時代の武士の給与には、石、俵、人扶持、両の単位をもって与えられたが、 基本的には、金給の両に換金される。そして全て年俸である。
それぞれの単位を換算すると次の様になる。

一人扶持=1.75石 (一人扶持は、一日五合支給 一年分で一石七斗五升)

一俵=0.35石

一両=0.83石=12万円(現代円に換算)

一石=1.2両=約14万5千円(現代円に換算)

例:十人扶持は17.5石(21両)となる。

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